The Piano Tuner and The Pianist <Episode.1>

調律師とピアニスト エピソード1「ピアノの目覚め」

60 min / 2014
第17回ゆふいん文化・記録映画祭 松川賞受賞作品

  • Director : KENTAROH UEDA
  • Cinematographer : KENTAROH UEDA
  • Editor : KENTAROH UEDA

<あらすじ>
上野泰永は独創的な調律方法を持つ調律師。内藤晃は、柔らかいタッチから美音を奏でる若きピアニスト。内藤晃は、母校である東京外国語大学に新設された「アゴラ・グローバル」というホールの開館記念イベントでの演奏にあたり、調律師の上野泰永を滋賀から呼び寄せた。しかし、演奏前日の調律日に反響板が倒れるアクシデントにより、上野は負傷する。怪我を負いながらも調律を続け、ピアノは演奏され、無事に公演が終わる。

一台のピアノが調律され、演奏される。ピアノの横にカメラを置き、その出来事をただじっと見つめること。『調律師とピアニスト』シリーズはシンプルな手法と内容で作られた映画です。

<この映画について>
調律師の上野泰永さんと私が出会ったのは2010年のこと。音楽家の野村誠さんらと「老人ホーム・REMIX#1」という公演を作り、私は映像で参加しました。上野さんはその時、Bankartにあったアップライトの小さなピアノを調律しました。
私は上野さんの仕事をしばらく後ろから眺めさせてもらいました。初めて見る調律の仕事に胸が高鳴りました。ピアノの蓋を開けると、内部が露出し、何か見てはいけないものを見たような、世界の秘密を知ってしまったような気になったのを、今でも覚えています。そして、そのピアノの内部はとても美しく、しかし同時にグロテスクでもありました。例えるなら人間の内部、臓器を見ているようで、ある種の畏怖を感じました。
調律の音、これを心地よいと感じる人はどれくらいいるでしょうか?例えば、1947年の映画『幸福の設計』(監督ジャック・ベッケル)では、調律の音が主人公の焦燥感を煽るように使われています。確かに規則的で単調でメロディのない一連の音は、永遠に続く悪夢的な連続のように感じられるかもしれません。でもこの音が私にはとても美しく感じられました。心地よい、安らぐというよりは、それは身体に響く、冷静で誠実な「音楽」です。調律の音はもちろん構成された「楽曲」とは違います。ですが、調律から演奏までの一連の音の総体は、確かにひとつの音楽体験と言えるものだと思います。
映画『調律師とピアニスト』では、4つの「音楽」が鳴っています。調律の作業音、調律師によるピアノの試奏の音、ピアニストによる試奏の音、ピアニストによる本番の演奏。この4つの音が順番に現れることで、ピアノの音、楽器としての奥深さを味わえるのではと思っています。ある意味では、この音楽体験を味わうことこそが、この映画の主題であるかもしれません。
話を戻して、その2010年のこと、上野さんの調律は素晴らしく、調律前と調律後で明らかな音の変化がありました。調律前の音に関しては、特にはなんの印象も持たなかったのですが、調律後の音は、柔らかく、伸びやかで、そして近くにありました。調律後の音を聞いたとき、公演のスタッフから拍手がおきました。野村誠さんの情緒と情熱に富んだ素晴らしい演奏でその公演は幕を下ろしました。
それからしばらく経って、同じ2010年のころ、私の携帯電話に上野さんから電話がかかってきて、「今度東京で仕事があるので調律を撮らないか」と連絡ありました。初めて調律を見た時に、ぜひ撮影してみたいとお話ししていたら、上野さんのほうから連絡があったのです。内容は、東京外国語大学に新しいホールができる、大学のOBであるピアニストの内藤晃さんが記念式典で演奏する、とのことです。
調律は公演の前日から行われました。新設のホールに納入したYAMAHAのピアノは新品のピアノで、これもピアニスト自身がわざわざ出向いて選定したものでした。撮影をしていて、より鮮明になったのは、上野さんが独自の調律理論を持つ、とても独創的な調律師だということです。ピアノを浮かせる「Stimmfuture」という器具を開発したり、地元の滋賀に理想の音環境を求めて音楽ホールを作ったりするまでの徹底ぶりで、撮影中も門外不出の技があるので、その撮影素材は使用しないようにと言われました。普段は柔和で優しい「関西のおっちゃん」という雰囲気の上野さんですが、調律の時になると鬼が宿ったような厳しい表情を見せます。大きな身体の上野さんがこれまた大きなグランドピアノに乗りかかって、まるでてなずけているようにすら見えました。
一方、ピアニストの内藤さんは若くしてクラシック音楽の歴史や理論に造詣が深い方であり、演奏では柔らかいタッチで美しい音を奏でるピアニストで、彼が鍵盤を叩くと、一気に場の空気が変わる印象があります。今回の「24のプレリュード」はCDも出されています。内藤さんは柔らかく上品な音を奏でながらも、ソリストとしてとても強い情熱を持った方だと感じています。その情熱の強さは、演奏している時の表情に実に表れています。
調律前にアクシデントがあり、上野さんは手と足を負傷してしまいます。しかし、その怪我のことよりもピアノの音の仕上がりのほうが気になると、作業を終えるまで病院に行かず、最後まで調律をやり通します。そして、もちろんそのピアノは、ピアニストに演奏されて映画は終わります。

一台のピアノが調律され、演奏される。
映画『調律師とピアニスト』は、ただそれだけの映画です。
カメラはピアノの近くにいて、世界に起きたこの出来事をシンプルに記述します。
その記述の端々に見え隠れ呈してる物語をこの映画を見る人が指差してもらえると幸いです。


調律師とピアニスト エピソード1「ピアノの目覚め」

「調律師は、ピアノの音を聴くだけではない。たしかに観ている。それぞれの音が、その資質にふさわしく、伸びやかであるか。 音の行方を目で追い、その動きを妨げるものを少しずつ取り去り、裸にしていく。ピアニストは、その裸になった音を踊らせ、さらに遠くへ運んでいく。 音も、そして私たちも。」

宮浦宜子(Life on the table)

「ピアノを目覚めさせる-調律師の湿布された痛々しい手が、鍵盤を叩くたび、その動きを回復させ、篭っていたピアノの音も シンクロしたように大きな響きを聴かせる。音が音楽になる-ピアニストの手が鍵盤に触れるとピアノの音が音楽になる。じっと見つめるカメラの眼差しが、わずかな動作の集積が大きな変化を生む様と奇跡のような瞬間を捉える。」

宮下十有(映像人類学者)

調律師とピアニスト エピソード1「ピアノの目覚め」
調律師とピアニスト エピソード1「ピアノの目覚め」

「紺屋の白袴、医者の不養生、とはよく言ったもので、僕の周りの職人肌の人間達は往々にして、仕事は一流だけど、ちょっと抜けていたりします。だからこそ、愛おしいのですが、本作に登場する上野さんも、そのひとり。強いこだわりと、執着心のなさのコントラストが、人間・上野泰永を語っているのかと思います。そんなひとりの人間を追った本作には監督さんの上野さんへの愛情を感じざるを得ないのです。」

酒井貴史(映写する人)

「ピアノの音に全神経を傾ける調律師上野さんの姿と、美しいハーモニーの探求に直向きなピアニスト内藤さんの姿と、彼らが発する全ての生きた音を映像に記録する上田監督の姿とが重なった、音楽への愛情あふれる作品。調律師とピアニストがピアノに向き合う時の真剣な眼差しと、時折はさみこまれる会話のあたたかさに、心が惹きつけられた。探究心と感性とが組み合わさり、調律師からピアニストへのバトンが渡って、客席に座る私たちに美しい音楽が届いている、その過程にあらためて敬意を感じた。」

平山玲(スパイラルスコレー【スクリーンに映画がかかるまで】講座コーディネーター)

調律師とピアニスト エピソード1「ピアノの目覚め」